2016年を考える 民主主義 多様なほど強くなれる

2016年01月01日(金)毎日新聞 一本社説 2016年を考える 民主主義 多様なほど強くなれる
http://mainichi.jp/articles/20160101/ddm/003/070/054000c

 

 >昨年は、日本の民主主義の成熟度が試された年だった。象徴的なのが安全保障関連法をめぐる論議だ。国民の多くが「議論は尽くされていない」と感じていたが、安倍政権は選挙ですでに国民の信任を得ているとして、採決を強行した。

 

日本の報道機関⊆言論機関が全くまともな言論をしなかっただけ。

せいぜい江戸時代の封建ファシズム奴隷のまま、過去の間違った言論に基づいて更に間違った偽言論『お代官様、御願いしますだぁ』をやってただけ。

日本の国会議員の劣化以上に日本の報道人の劣化が酷い。報道人の言動が酷過ぎて、あれでは、どんなまともな国会議員もまともに議論はできない。

諸悪の根源は、UN Charter Article.51 の "right of collective self-defence" を「参集的自衛権」と適訳しなかったこと。適訳し直さなかったこと。 

集団的自衛権」と訳すしかない集団の自然権としての "right of unit self-defence" と、大統領/首相や防衛大臣からの指揮命令による "right of collective self-defence" =「参集的自衛権」とを混同し続けていたら、まともな議論は全く不可能。

正しくは以下のような関係。 

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日米安全保障条約は、10条等により「日本区域」に限定されており、かつ、日本が正当防衛せざるを得ない場合にのみ日本が(A1)(A2)だけを行使するための条約。それ以外は全て、憲法9条1項違反かつ憲法9条2項違反である。

報道等で「専守防衛」という言葉が抽象的な概念であるかのように使われているが、日本が防衛としてできることは具体的論理的に限定されており、「専守防衛」の正確な中味こそ報道されるべきであった。

(A2)のための日米共同防衛の訓練をしているうちに、現行の憲法9条のままでも(B1)(B2)も限られた場合( Legal Certainty 法的確証性 に違反)なら可能なはずだと酷い勘違いをした結果が安倍晋三政権による「平和安全法制」である。いわゆる「戦争法」である。勿論、「平和安全法制/戦争法」は憲法9条1項違反、憲法9条2項違反であり、露骨に違憲無効である。

まとめると、日本の報道人は、

1)collective自衛権を「集団的自衛権」と訳すのは元々酷い誤訳であり、「参集的自衛権」という適訳にさっさと改訳し直すべきであった。

2)そして、自然権の unit自衛権 にこそ「集団的自衛権」という適訳を当て嵌め直すべきであった。

3)そうすることによって、先ず、「集団的自衛権」が指揮命令系統による任務として降りてくる場合(参集的自衛権=collective自衛権)と自然権として集団の正当防衛権として自然発生する場合(集団的自衛権=unit自衛権)という二つの本質的に全く異なる意味で使われている用語による混乱の問題をさっさと解消すべきであった。

4)憲法9条1項、憲法9条2項、日米安全保障条約によって具体的論理的に限定されている「専守防衛」の正確な中味をこそ日本の報道人は正直に報道すべきであった。

5)日本は、参集的自衛権=collective自衛権集団的自衛権=unit自衛権、どちらも日米安全保障条約によって約70年行使し続けているという現実をこそ正直に報道すべきであった(但し、「日本区域」限定のため、日本が参集的自衛権を行使できる範囲も「日本区域」限定)。

6)日本が防衛行動できる範囲は、憲法9条1項、憲法9条2項、日米安全保障条約、砂川判決をどう読んでも、「日本区域」、即ち、日本国領域とせいぜいその周辺公海に限定されているというただの事実ぐらいは正々堂々と報道すべきであった。

7)1)~6)全てを報道した上で、粛々と、「平和安全法制/戦争法」は憲法9条1項違反かつ憲法9条2項違反により違憲無効であり、かつ、「存立危機事態」「駆けつけ警護」は法の世界標準原則 Legal Certainty 法的確証性 に違反しており法として不適格かつ無効であると報道すべきであった。