2016年を考える 人口減少と経済 タブーにも「挑戦」の時

2016年01月06日(水)毎日新聞 一本社説E 2016年を考える 人口減少と経済 タブーにも「挑戦」の時
http://mainichi.jp/articles/20160106/ddm/005/070/042000c
>外国出身の居住者が多い自治体が集まり先月、浜松市で「外国人集住都市会議」が開かれた。外国人=出稼ぎというとらえ方ではなく、人口減少社会の中で「外国人市民の多様性をどう生かすかを考える段階に入った」(鈴木康友浜松市長)との発信がなされた。戦略的に政策を推進する司令塔として、国に「外国人庁」のような機関の新設を求める「浜松宣言」で締めくくった。

 

逆。それも真逆。

日本人に必要なのは、「外国人市民の多様性をどう生かすかを考える」「外国人庁」のような機関ではなく、日本人全体の諸国民化・多様化。

真っ先に「国際~」という international の誤訳を永遠に捨て去るべき。そして

「諸国民間~」「諸国民~」「諸国~」「万民~」「万国~」

のような international の適訳を適切に使いこなせるようになるべき。

その第一の理由は、「国際~」という誤訳は、字義的に「諸国民相互交流の」のような意味が漢字でほとんど全く表現されていない「言語新作」的な、互換性のない病的誤訳であるから。

第二の理由は、「国際~」という誤訳は、国家主義的・排外主義的・「井の中の蛙(かわず)」的な人々による、そういう人々のためのイデオロギー的・カルト的誤訳であり、「国際法」「国際連盟」というとんでもない誤訳以降の亡国日本を見れば明らかなように、実際に日本国民全体を破滅と汚辱にまみれさせた亡国的誤訳であることが元々明らかであるから。

それさえ自ら率先して行わないのであれば、日本の報道人・公務員の全体がまたまた日本のあらゆる亡国の元凶ということにならざるを得ない。昭和前半と全く同じ。非常に悪い意味で「歴史は繰り返す」を実践中の平成日本の報道人・公務員・・・。どうなることやら。